自分の孫が大きくなったら、読んでほしいと思った「素晴らしいスピーチ」を投稿しました。
その「素晴らしいスピーチ」は4月12日におこなわれた東京大学の入学式で、新入生に向けてメッセージを贈ったのは、低・中所得国での感染症対策を支援する国際機関「グローバルファンド」で保健システム及びパンデミック対策部長を務める馬渕俊介さんです。
東京大学のホームページに掲載されている全文を掲載するので読んでください。
【馬渕俊介さんのスピーチ内容】
新入生の皆さん、そしてご家族、ご親族の皆さま、おめでとうございます。
私自身も東大の卒業生ですので、入学時の受験戦争からの解放感、新しい学生生活を始めるわくわく感は、今もよく覚えています。
長い受験勉強が終わって、ついに自由。たくさん遊んで、恋人作って、ガンガンやっていいと思います。
同時に、大学の4年間は、「自分で創り、自分で切り拓く、自分の人生」のスタート地点です。そしてこれからの皆さんの人生の中で、一番自由に、自分の器を広げ、自分の夢を探して突き進める時期でもあります。
私は東大卒業後、発展途上国を日本の立場から支援する国際協力機構JICA、民間の経営コンサルティング会社のマッキンゼーの日本オフィスと南アフリカオフィス、世界銀行、それからビル・ゲイツがマイクロソフトを辞めて、途上国の保健医療の問題を解決するために作ったゲイツ財団で、世界の貧困や感染症に立ち向かう仕事をやってきました。最近では、WHOの独立パネルに参加して、新型コロナのような感染症の壊滅的な大流行を二度と起こさないための国際システムの改革を提案して、去年の3月からは、世界の感染症対策をリードするグローバルファンドという国際機関で、途上国の保健医療システムを強化して、感染症のパンデミックを起こさないように備える部局の長をやっています。
今日は皆さんに祝辞をお伝えできるということで、はるばるスイスからやってきました。この機会に、私が皆さんより少し人生を先に生きてきて、とても大事だと感じていること、大学に入るときに知っておきたかったと思うことを、2つのお話しを通して共有します。
一つは「夢」について。もう一つは「経験」についてです。
まずは、夢について。
私は、東大に一浪して入りました。学力が特別あったわけでもありません。特に最初は英語が全然ダメで、英会話の授業では、体育会の友人と二人で、一番後ろの席で下を向いて、先生に当てられないようにやり過ごしていました。 ただ東大に入るときにはっきり決めていたのは、大学の4年間で、人生をかけて取り組むことを決めたい、ということでした。何も考えずに野球だけをしていた中学、高校時代の生活への反省もあったと思います。
興味が湧いた授業をすべて試してみる中で、文化人類学の授業でパプアニューギニアの先住民のギサロという儀礼を見たんですね。そこで、すさまじい衝撃を受けました。めちゃくちゃ格好いいと。こんなに我々と全く違う世界観の社会に住む人々がいるのかと。そういう異文化に飛び込んでそこから学ぶ、文化人類学者になりたい、と思うようになりました。それからすべての学校の休みを使って、途上国を一人で旅しまくりました。グアテマラの山奥の少数民族の村にアポなしで行って、ホームステイさせてもらいながら、フィールドワークもやったりました。
でもそこで見たのは、子どもが病気になっても医者も薬もない状況、毎日の重労働と日焼け、栄養不足でおばあさんのような顔をしている若いお母さん、地域に根深く残る差別から仕事の機会がなくて、くすぶっている同年代の若者など、美しい洗練された文化の裏にある、多くの理不尽でした。自分は、学者としてそこから学ぶだけで終わりたくない。人々が自分たちの文化に誇りを持ちながら、理不尽と戦って、日本なら簡単に直せる、あるいはかかることもない病気に命や可能性を奪われずに人生を生きられる、そのサポートをしたいと思うようになりました。大学時代に抱いたこの夢は、その後のキャリアの中で徐々に形になって、今も続いています。
「夢」について皆さんにお伝えしたいことは2つです。1つは、夢に関わる、心震える仕事をして欲しいということ。修行のために敢えて途上国の支援とは関係のない仕事をしたときに実感したのですが、自分の夢に関わる本当に好きなことをやらないと、それを徹底的に突き詰めることはできません。また、好きなことをやってないと、幸せの尺度が「自分が他人にどう評価されているか」になってしまう。それではうまくいかないときに持たないです。他人の評価を気にする他人の人生ではなく、自分がやりたいことに突き進む自分の人生を生きてください。
もう一つお伝えしたいのは、夢は、探し続けて行動し続ける人にしか見つけることはできないということです。夢が見つけられないというのは、ほとんどすべての人が抱え続ける悩みですが、夢は、待っていれば突然降ってくるものではありません。探し続けて、行動してみて、その中で少しづつ「彫刻」のように形作っていくものだと思います。周りに流されず、自分の興味のままに、探し続けてください。そしてそれが一番自由にできるのは、今からの4年間です。
二つ目のお話は、「経験」についてです。
貧困や感染症、気候変動のような世界の問題に立ち向かう仕事は、問題がいつも無茶苦茶に複雑なので、「自分のやっていることが、本当に問題の解決に役立っているのか」という疑問と常に向き合うことになります。その中で私が「世界は変えられるんだ」と希望を持てたのは、西アフリカのエボラ出血熱緊急対策の仕事でした。
エボラ出血熱という病気はご存じかもしれませんが、2014年にギニア、リベリア、シエラリオネの西アフリカの3か国で大流行し、先進国にも飛び火して、世界を震撼させました。私は37歳の時に、世界銀行で、この大流行を止めるための、緊急対策チームのリーダーを任されました。
エボラの恐ろしいところは、感染者の約半分が死に至るということです。それは、自分や家族が感染すると、高い確率で、家族の誰か、あるいは全員が死ぬということです。私が対策チームを作った2014年の8月の時点で、感染者数、死者数は指数関数的に跳ね上がっていました。あとでリベリアのエレン・ジョンソン・サーリフ大統領が「私たちは全員死ぬと思った」と話されたほどの、危機的な状況でした。
緊急対策に当たって2つの難題に直面しました。一つ目は、時間です。感染症対策はスピードが命ですが、感染が爆発した3か国にはお金がなくて、大きな海外援助も遅れていました。世界銀行の資金が頼みの綱だったのですが、通常のプロセスでは、200億円近い大きな資金を効果的な形で届けるには、1年半かかります。そんなに待てるはずがない。そこで、経営コンサルティング会社、マッキンゼーで身に着けたオペレーション改革のノウハウを総動員して、プロセスを無くす、減らす、後回しにする、数倍の速さで回す、そして今何で遅れているかを全て目で見えるようにして、45日ですべてを完了させました。
もう一つの、より大きな難題は、死者の埋葬による感染の拡大でした。
エボラは人が亡くなったときに感染力が一番高く、お葬式で死者に触れてお別れをするのがその地域の非常に大切な儀式だったので、それを通じて感染が爆発しました。
この問題への医学的に効果的な対策は、死者に消毒液を掛けて、ビニールバッグに入れて、そのまま火葬することなのですが、このやり方は現地の人たちの大切な価値観に反するもので、全く受け入れられませんでした。その結果、死者の報告をしない、死体を隠すということが広がり、感染がさらに拡大しました。
この医学的な解と社会的な解との折り合いをつけるために、文化人類学者と現地の宗教リーダー、コミュニティリーダー、それから感染症対策の専門家と共同で、これなら感染のリスクを無くしたうえで、人々が尊厳ある死を迎えられるという、「安全な尊厳ある埋葬」というやり方を開発しました。それを宗教リーダー、コミュニティリーダーから、この方法でよいのだ、この方法で我々の尊厳と安全を守るのだというメッセージを発信してもらいました。
これが普及したことによって、埋葬による感染が防がれ、爆発していた感染が一気に落ちて行きました。2年後に、3か国すべてでエボラ感染を無くすことができ、死者も最悪のシナリオでは70万人を超えていつ終わるかわからないという予想だったのを、1万人強にとどめることができました。
この話でお伝えしたかったことは、皆さんはこれからいろいろな学問や仕事で身に着けた力、「経験」を組合わせて、そのすべてで問題解決に挑むということです。私のエボラ対策の例では、文化人類学の考え方、感染症対策の専門性、民間の経営コンサルティングのスピード感と問題解決力の3つを組合わせで持っていたことが、大きな助けになりました。民間と公共の壁や、医療と文化、社会の壁などを「越境」した経験を持って、問題解決をまとめる力は、問題がどんどん複雑になるこれからの世界では、本当に重要になります。
一つの分野で世界のナンバーワンになることは、とても難しい。ですが、いくつかの重要な分野の経験やスキルを、自分だけにユニークな組合せとして持っていて、それらを掛け算して問題解決に使えるのは自分だけという「オンリーワン」には、なることができます。
そこでとても大切なことは、「環境が人を作る」ということです。人間は弱くも強くもあり、自分のいる環境をたった一人で突き抜けて大きく成長していくことはとても難しいですが、逆に凄い人たちの中で、あるいは修羅場に身を置いて、難しい挑戦を続けていると、それが普通にできるようになって、その次のさらに大きな機会に手が届くようになります。環境は、「わらしべ長者」のように力をつけて、「経験を組合わせ」ながら得ていくものです。私の場合はそうやって徐々にできることを増やしていって、今に至っています。
最後に、人生のリスクについてお話しします。
私はずいぶん前のセミナーで、大手商社に内定しているという大学生から、「馬渕さんは、どうしてそんなにリスクをとれるんですか。」という質問をされました。ここで言う「リスク」ってなんでしょうか。
Dropboxというウェブサービスの創業者が、MITの卒業式のスピーチで、こんなことを言っていました。人生は日にちに換算すると、3万日しかないと。私はすでに、1万7千日を使っています。皆さんは、大体すでに7千日近く使っています。そして次の1万日は、もの凄く速く過ぎていきます。
時間がすごく限られている中で、考えるべきリスクは、何かに失敗するリスクではなくて、難しい挑戦に踏み込まないことで、成長できず、なりたい自分になれないリスク、世界に対してしたい貢献ができないリスク、行動を起こさずに「現状に留まることのリスク」だと思います。
これから皆さんが生きる世界は、これまでと比べて圧倒的に不確実で不安定で、危険が多く、逆にとてつもない可能性にも満ちた世界です。人類がこの先も長く生きられるかどうかは、次の数世代にかかっているとも言われています。
人類が未来に希望を持って生きていくためには、世界の最高の頭脳が、気候変動や世界の不平等、感染症との戦いなど、世界の最大の問題に立ち向かっていかなければいけません。日本の最高の頭脳である皆さんにも、世界の、そして日本の最大の問題に立ち向かっていって欲しいです。
パナソニックを創業した経営の神様、松下幸之助の「道」という、私の座右の詩があるのですが、そこで彼はこんなことを言っています。一部を引用します。
“自分には自分に与えられた道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。”
皆さんの東大での4年間が、皆さんだけのかけがえのない道を、悩みながら心を定めて懸命に歩む、その一番最初の充実した時間になることを、心からお祈りしています。
改めまして、おめでとうございます。どうもありがとうございました。
(“”は、『道をひらく』(松下幸之助著、PHP研究所、1968年)より引用)
令和5年4月12日
グローバルファンド 保健システム及びパンデミック対策部長
馬渕 俊介