2021年3月31日

館歌歌詞2番の語句(玄界)で教えてください(令和3年3月20日)


 

 私個人の記憶では、青春の血は玄海の~でしたが、いつのまにか「玄界」に公式統一されてました。同窓会事務局、高校HPに質問しましたが、回答は色々論議はあったが、修猷200年史掲載の玄界に統一するという作詞者を冒涜する乱暴な理由でした。  作詞原本が「玄界」ならば納得できますが不明です。  更に玄界決定の「詳細理由」を問い合わせ中ですが令和3年3月20日現在、同窓会事務局、高校HP共に未回答のモヤモヤ状態が続いています。

”玄界決定理由の詳細をご存じの方は、教えてください。”
参考に高校HPに投稿した内容を下記に表示します。 ①福岡県立修猷館高等学校 御中 cc同窓会事務局(令和3年1月19日)
 いつもお世話様になっております。
 標記の件に付、別途問い合わせの同窓会事務局より、貴高校のI先生に確認し、いろいろ論議はあったが修猷館200年史掲載の「玄界」に正式決定し、統一していると返信いただきました。
 決定の経過はわかりましたが、決定理由が根拠薄弱で合点がいきません。
 歌詞原本が不明であれば、次の候補は最古の歌詞掲載公式文書となります。
 修猷館200年史は1985年の公式文書であり最古ではありません。
 玄界が使用された時代もあったとのことですが、1985年以後は、200年史掲載を根拠とする為、使用例にカウントできません。
 1985年以前での使用例は寡聞にして、聞いておりません。
 公式文書にて使用例の変遷検証をおこなっていますが、個人資料では 限界があり、学校保管の資料にて調査方よろしくお願い申し上げます。
 館歌制定の大正12年以降の公文書:学校要紀、卒業アルバムの語句を記入できるエクセルファイルを準備致しました。
 1985年以前に「玄界」表示の資料ありましたら、発行年月と掲載書類名 を記入して、コピーを添付返送いただきたいです。
 同窓会事務局にも添付ファイルの通り、追加調査依頼しております。
 新型コロナ感染症が猛威を振るい、大変お忙しい中とは存じますが 母校の館歌の歌詞が「玄界」=黒く暗い闇の世界というマイナスイメージに 改悪されていると感じてますので、正確で迅速な調査をお願いします。
    令和3年1月19日 ②福岡県立修猷館高等学校 御中(令和3年1月15日)
 こんばんわ 初めてメール致します。 昭和42年3月卒業の「 A.K 」と申します。 新型コロナ感染防止の大変な時期にお手数ですが、標記の件に付 調査し、歌詞変更資料をご開示ご回答賜りたくお願い申し上げます。  1、館歌2番の歌詞が「 玄界 」に変更を母校ホームページで発見しました。
 2、同窓会ホームページも同様に「玄界」に変更されていました。
 3、手元資料の卒業アルバム、同窓会員名簿(H17)は「玄海」で印刷されています。
 4、所属の近畿修猷会総会資料では、2019年は玄海、2020年は玄界でした。
 5、同窓会本部事務局に1/2問い合わせメールしましたが、1/15日現在未回答です。
 6、近畿修猷会幹事長に1/8問い合わせTELしましたが、知らなかったとのことです。
 7、先輩に確認したら、同窓会員名簿の館歌歌詞表示は、H22年は玄海、H27年は玄界との事
 8、平成22年から27年の間に変更されたと推量致します。

  調査回答御依頼事項は次の通りです。
   1)「玄海」から「玄界」に変更された時期:年月日はいつか?
   2)変更理由とその根拠は何か?証明資料あれば開示願います。
   3)歌詞変更の決定者はどなたでしょうか?HP管理者?、館長?
   4)歌詞変更の周知文書あれば開示願います。
 私見ながら、「玄界」の言葉は、地元出身者、地理歴史に少し詳しければ、玄界灘、玄界島から 海をイメージすることは容易に想像できますが、漢字そのものの意味では、黒く暗い闇の世界 黄泉の世界、幽界、あの世というマイナスのイメージとなり、歌詞にそぐいません。
 海のイメージである玄界灘の略称は、「玄海」又は「玄洋」であり断じて玄界ではありません。
  玄海の場合の実際例==玄海町、玄海国定公園、玄海原子力発電所、玄海中学、居酒屋等店名
  玄洋の場合の実際例==玄洋社、玄洋高校、玄洋中学
 他の「鹿島灘」「遠州灘」「周防灘」「日向灘」の灘をとると地域名で海の印象は少ない。
 「響灘」「燧灘」は、灘をとってもかろうじて海のイメージは、少し残ります。
 個人的には、学生時代から慣れ親しんだ「 玄海 」に愛着があります。
 同窓会員の皆さんは「ゲンカイ」と音が同じかつ、玄界灘の印象で違和感を持たなかった?
 著作権は期限を過ぎてますが、作詞者の原本歌詞は尊重されるべきと思います。
 作詞者の原本が「玄界」であれば、已むを得ませんが、変更の丁寧な説明が抜けています。
 色々と失礼に思いのたけをつづりましたが、母校愛の発露とご容赦下さい。
 年度末近く、卒業式等諸行事の準備でお忙しい中、大変お手数をおかけしますが、
 よろしくご高配の程、伏してお願い申し上げます。
   令和3年1月15日

2021年3月10日

凡学一生の優しい法律学①

 


熊本典道元裁判官の死

1. 父から教わった裁判官神話

筆者は幼少のころ、たびたび小銭を握って闇米買いの小使いをさせられた。その度「闇米などの違法な米を食することはできない」として餓死した裁判官の話を父から聞かされた。子ども心にも警察に捕まるかもしれない犯罪行為をしている恐怖心があり、父から聞いた裁判官の話は筆者の脳裏に深く刻まれた。

 大学の法学部に進学した筆者は当時多発していた冤罪事件に興味をもち、文献を多読した。当時、冤罪の原因者は警察・検察官とされ、彼らが非難の矢面に立たされていた。しかし、どう考えても最終的に判断したのは裁判官であるため、裁判官の責任がどうして問われないのだろうか、との疑問が強く残った。

 当時すでに新進気鋭の刑事法学者であった小田中聰樹(おだなか・としき)教授のゼミにも参加したが、やはりそこでも裁判官を非難する講義を聴かなかった。小田中教授の提唱した「検察官司法」という標語が一世を風靡した感もあり、闇米を拒否して餓死した裁判官の話が気になっていたところ、同じ疑問を追及した人がそのような事実は存在しないことを世間に発表した。

 しかし、日本の裁判官の極端な純潔性、潔癖性はすでに都市伝説(昔はこれを単に神話と表現していた)となっており、冤罪の基本的責任が裁判官にあるという極めて当たり前の論議が市民レベルで発生することはなかった。このことは、市民のなかにいまでも根強く残っていると感じられる。

2. 熊本元裁判官の懺悔

1人の無垢な人間が無残な冤罪でその一生を踏みにじられたのが、袴田事件である。

 熊本典道氏はその第1審の死刑判決を起案した裁判官であり、自己の良心に反する判決文を書かされたことで、裁判官を退職し、野に下った。その後、無罪の心証を世間に公表し、袴田再審請求事件にも積極的に協力した。これは冤罪事件ではほぼあり得ない事情であったため、世間の注目を浴びた。

 先日の熊本氏の死去にあたり、その裁判官として「評議の秘密」を暴露したことについて一部で論議を呼んだことが報道された。実はこの問題には、法哲学上の永遠の難問「悪法もまた法なりしか」が存在しており、国民の法的基礎知識として、わかりやすく解説したい。

3. 裁判所法

下級裁判所(地方裁判所)の合議体についての管轄規定は、裁判所法第26条にあり、その評議の秘密は第75条、評決については第77条に規定されている。裁判所法という法律の存在も知らない一般人がほとんどであるため、熊本氏に対する法律違反の指摘は弁護士か裁判官から出たものである。

 問題となる条文は75条であろうか、それとも77条であろうか。評議の内容を秘密とすることには問題がないため、75条の規定には問題がない。評議の評決を多数決と規定する77条にいかなる問題があり、77条がなぜ「悪法」となるのかを取り上げる前に、熊本氏に成立する法的正当性について説明する。

4. 裁判官の憲法上の権利義務

裁判官は独任制の司法権執行者であり、職制上の上下関係もその判決権限には影響しない。法に定められた審級制上の上級審の判決変更権も、対等な司法権同士での制度的変更権に過ぎない。

 正確な法的構造を教えられていない一般の国民は、地方裁判所の裁判官より高等裁判所の裁判官が「偉い」と理解している。裁判所につけられた名称が、「地方」から「高等」、そして「最高」となるため、そのように理解するのも止むをえないが、実態としては、運転免許証と同じように、裁判官は全員が司法試験合格者という横並びの能力者群である。

 余談となるが、職制上、上位の地方裁判所「所長」が、個別の事件の内容について口を出して大問題となった事件が、有名な「平賀書簡事件」である。

 憲法第76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される」と規定しており、条文の文言中の「独立して」という言葉が原則的な独任制機関を意味している。

 熊本裁判官は当時、裁判官としては良心に反する死刑判決文を書かされたものであるため、それが憲法違反となることは誰も否定できない。それが起こった原因は、評決を多数決とする前記77条にあるため、77条が悪法であることは理解できる。ではなぜ、評決を多数決で決定することが悪法となるのか。それは、評決に事実認定とその法的評価という2種類があることに原因だ。

 真実は1つしかないため、真実、つまり事実認定を多数決で決めることはできない。認定された事実が何罪の構成要件に該当するか、どの程度の科刑が相当かという見解については意見がわかれてもおかしくないため、多数決で決することも不合理ではない。

 以上を要約すると、有罪無罪の評決(とくに死刑評決)は全員一致でしか行えない。多数決で行える評決は、罪名と量刑のみである。当時の裁判長の訴訟指揮が法律の根本的誤解にあったため、評決自体が無効であり、保護すべき評決は存在せず、評議の秘密の規範違反も成立しない。

5. これからの日本に必要なこと

日本社会で生きていくのに必要な法的意識は、第一義には親が子に教える。弁護士や裁判官ですらまともな法知識をもたず、常識はずれの人間が大手を振って歩くなか、一般市民が、子どもたちのために適正な法意識の教育をすることは困難である。公教育による法的権利意識の教育が急務である。

 このような社会の実情を反映したのが、熊本元裁判官の懺悔事件であった。熊本元裁判官は重病の病床においても、悔悟と懺悔の涙で泣き崩れた。死の直前において純粋な人間性を示した姿に多くの人が心を打たれた。

※参照資料ーー(データマックス)【凡学一生の優しい法律学】

2021年2月4日

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