2022年3月10日

同窓会長との面談(令和4年3月8日)

 


一九猷会会長からのメールの内容を掲載

令和4年3月8日、O君と共に同窓会長と面談してきました。
予想通りというか「学校側が修猷歌集を編纂する際に当時の先生方が十分協議して決めた結果で この数十年「玄界」で通してきたのでそれが正解である。学校も変更する気はないと言っている」と。
会長自身は原本は間違いなく「玄海」であったろうと考えるが時代の流れで「玄界」の使われ方も「玄界高校」とか幅広い意味合いで使われるようになったのでそれで玄界灘を想起させるからいいのではないか、また「玄界」の意味が幽界を表すなんて言うと玄界高校に失礼だとか・・・。

また大正12年に制定された歌詞が5か所の変更があり(海→界も含めて)1か所のみ戻すのはおかしいだろう・・?!とのこと。大正12年に制定後変更があったことは我々も承知していることですが(‥青春の血は玄海の荒き穂波と湧き立ちて、質朴の風を甘なひつ・・我らの使命を→我らが・・など)
それは時代の流れにそって至極当然と言えば当然でそれも「玄海」が「玄界」に変えられる相当以前のことです。
そして荒き怒涛と湧き立ちてに続く言葉としてあえて「海」から「界」に変える必然性があったのか、昭和53年に修猷歌集編纂の折に検討された方々から「海」を「界」に変えたという証拠、文章文言が何かあるか?との問いには以前からの学校側との回答と同じく「全くそのようなものはないけど当時の先生方がしっかり検討された結果であると聞いている」との以前の返答文と変わらぬ答えで全くかみ合いませんでした。
だから私たちの主張のように「いつの間にか変えられたわけではない、決して誤植ではない」と。

そして とにかく私たちはこの件に関して学校や同窓会と対峙して戦うような気持ではなく同窓生の一員としてもう一度同窓生に問題提議して、議論し考えていただきたいという思いであると申しましたら 今更それをやったら必ず意見が二分されて大事になる、常任幹事会や学年幹事会の議題に上げて議論を起こすつもりはないとはっきり言われました。
またこの件で館長とも話したが、館長は「自分の話した意図が都合よく一部だけ切り取って記されていると非常に怒ってましたよ!」と。
館長と面談には一人では誤解が生まれてはいけないとS君に同伴してもらってましたから、穏やかな雰囲気で1時間ほど話し合い、私は間違った報告はしていないつもりですが。

そして42年卒の私たちに3度の返答書を送ったことで説明は十分果たしたつもりである、他の学年の常任幹事、学年幹事さんらに説明することはないと、あくまでもターゲットは42年卒だけのような感じでした。

同窓会は修猷館の現役学生が気持ちよく学べるようにバックアップするのが一番の役目だからこのような問題で同窓会がとやかく言うものではないとの話もされました。
もちろん当然の話です。
しかし修猷山脈に連なる修猷館の伝統文化を繋いでいく同窓会の役目もあるわけで、今後しぶとく幅広い学年の皆さんに訴え賛同を得る努力をすることで「42年卒の一部のうるさ型連中のたわごと」のような言われ方をされぬよう対策を検討する必要があると感じました。

同窓会本部としても、我々も同窓生の一員なのですから、その一同窓生の提議にまずは素直に耳を傾け、幅広い同窓生の意見を聞き、まじめに議論した上でその結果を学校側に伝えていただきたい。
その上で最終結論を学校が出されるならそれに従わざるを得ないと考えております。
ところが今回のように最初から提議、提案書配布拒否といった常任幹事長の独断、我々に対する喧嘩腰の姿勢では「質実剛健、自由闊達」の修猷館はどこに行ったのだろうという感じでいっぱいです。

明日3月度の常任幹事会が開催されますが(先月はコロナで中止でした)、今回はとりあえず流れ、雰囲気を見ることに留めたいと思ってます。

又 近々考える会の発起人会議を開く予定ですのでその際はよろしくお願いします。

2022年2月21日

「館歌歌詞を考える会」の活動への同窓会の対応(令和4年2月20日)

 


一九猷会会長からのメール内容

【メール文面】
同窓会常任幹事長より役員へ添付文書と共に下記のメールが送付されております。どうしても常任幹事長主導で議論に持ち込ませないように図っているみたいですね。
既にご承知のような「木で鼻をくくったような」ペラペラの1枚の返答書ですべて終わらせたと考えているところが不思議です。

【常任幹事長より役員へのメール文面】

修猷館同窓会役員 各位

今回は、一九猷会(S42卒)有志を中心とした「館歌歌詞を考える会」の活動への対応について報告します。
皆さんにも、館歌2番歌詞「ゲンカイ」の表記についての問題提起、さらに歌詞変更を求める活動への賛同を募る内容の文書が届いているかと思います。

令和3年1月に、一九猷会(S42卒)有志から館歌2番歌詞「ゲンカイ」の表記について「玄海が正しいのではないか」と問題提起があり、学校と同窓会歴史伝統伝承委員会が協力して事実確認を行いました。
令和3年7月に回答書を提出し、その後の面談や追加報告書でも学校見解を説明し、理解を求めてきました。
学校の見解が明らかであったこともあり、問題を提起した一九猷会有志への回答で十分と考え、これまで役員の皆さんに詳細報告をしていませんでした。

しかし、皆さんにも「館歌歌詞を考える会」から直接文書が届き、少々困惑されたのではないかと思います。

そこで今回の件について
・同窓会会長のお考え
・学校の見解
・事務局からの補足説明
をまとめましたので、添付します。

本メール添付の文書を読んでいただき、それぞれ冷静にこの問題について考えていただきたいと思います。

【添付資料】

  「館歌歌詞を考える会」の活動への対応について


館歌歌詞を考える会の活動報告①(令和4年2月8日)

 


添付の三編の資料を修猷館同窓会本部役員、常任幹事(各学年1名。但し昭和40年卒以降)、及び各地区同窓会役員(東京、近畿、中京、東北、中国四国、沖縄他九州各県)の63名へ郵送で送付いたしました。

また、全学年幹事(各学年3名)の124名へ郵送で送付しました。

また、各役員さん以外でこの人には是非資料を送って支持をいただきたい!という方がいらっしゃれば是非ご連絡ください。(特に我々の先輩方の中で!)

そして 今月の常任幹事会はコロナのせいで中止になりましたが、この書簡が皆さんに届き次第常任幹事会で議題に上げてもらうつもりです。

次回考える会役員会に関しては 追ってご案内申し上げます。

   一九猷会会長

【三編の添付資料】
  趣旨書 資料①
  趣旨書 資料②
  歌詞変遷資料③


2022年2月16日

修猷館同窓会誌「菁莪」原稿(令和3年11月10日 随想:『館歌歌詞の変更を考える』)    


 修猷館同窓会誌「菁莪」 原稿   令和3年11月10日現在

     随想:『館歌歌詞の変更を考える』    

                          A.K.(S42年卒  一九猷会)   

まずは、標記題名の投稿をご承認いただいた同窓会事務局の大度量に深く感謝申し上げます。

我々修猷館卒業生にとって、心のより所である館歌、その2番の歌詞語句について考えます。

事の発端は、令和2年11月14日、新型コロナが蔓延中に苦心の上、リアルとオンラインのハイブリッド型総会を初導入し、開催された第45回近畿修猷会総会においてでした。
遠路はるばる出席いただいた故K同窓会長、T前館長をご来賓に迎え、出席者全員で、館歌斉唱ならぬ「館歌黙唱」と称し、心の中で歌っていました時でした。
我ら修猷生は、館歌歌詞は暗記しており、通常、歌詞カードは見ないまま声を張り上げて歌っていましたが、初めての黙唱の為、手持無沙汰で、何気なく総会資料の歌詞カードを眺めていると、館歌歌詞2番の語句が「玄界」となっているのに、初めて気が付きました。

その時点では、持参した前年度の総会資料添付歌詞は、従前通り「玄海」を確認したので、今回は、誤記載と自分は早とちりしてしまい、隣席の同期生に次回主催学年は「玄海」に戻すだろうと言って、ご来賓の手前、近畿修猷会総会の中では、館歌歌詞誤記載の指摘発言はしませんでした。
ところが、令和3年の年賀挨拶メールで、同期生から同窓会のホームページでは「玄界」となっていると連絡があり、急いで高校、同窓会のホームページを閲覧すると、両方共に館歌歌詞「玄界」表記を確認できました。
そこで、知り合いの同窓生や関係者に対し、歌詞に関する問い合わせや調査をお願いして、館歌歌詞に関する事実調査をメールを中心にして、令和3年11月迄、11ケ月間継続して行いました。

種々の制約の中で、個人調査の範囲ではありますが、今まであまり知られなかった事実が判明したので、同窓生の皆様にお知らせいたします。

館歌の作詞者は「F」氏で広く知れ渡っていますが、作詞原本はいまだ不明のままです。
大正12年の館歌制定後、歌詞表記にも色々変遷の時代があり、修猷館200年史194ページ記載による大正期の館歌歌詞表記で、現行歌詞と相違する語句については次の通りです。

 二番:青春の血は玄海の
 二番:荒き波穂と湧きたちて
 三番:質朴の風を甘なひつ
 三番:吾等の使命を果さなん   

その後、現行館歌歌詞に変更された時期は不明ですが、私の調査で判明したことは
昭和30年発行正史、昭和31年卒業アルバム、昭和39年學校要紀では、
 二番:青春の血は玄海の
 三番:吾等の使命を果してん と現行歌詞と違う表記です。

次に昭和40年學校要紀では
 二番:青春の血は玄海の と現行歌詞と違う表記です。
 三番:吾等が使命を果してん と現行歌詞と同じ表記に変更を確認しました。

更に昭和53年學校要紀、卒業アルバム、昭和50、55年同窓会会員名簿では
 二番:青春の血は玄海の と現行歌詞と違う表記です。

しかし、昭和53年創刊発行の修猷歌集では
 二番:青春の血は玄界の と現行歌詞と同じ表記に変更を確認しました。

現行の館歌歌詞は、昭和53年創刊発行の「修猷歌集」及び昭和60年発行の修猷館200年史の歌詞表記を高校・同窓会の公式統一見解として、平成13年頃に決定したとのことです。

私の素朴な疑問として、作詞者が明確なのに何故に作詞原本が不明なのか? 作詞原本に近い公的文書でなく、何故に昭和53年発行の修猷歌集と昭和60年発行の200年史の歌詞表示なのか?団塊世代S42年卒の我らが在校中に教えられた二番歌詞語句「玄海」は何だったのか? 次々と私の脳裏に疑問が沸き起こりました。

歌詞原本の歌詞が「玄界」で何らかの事情により「玄海」となり、昭和53年発行の修猷歌集で元に復したのであれば、変遷の流れで理解できますが、修猷館200年史194ページには、大正期の歌詞聞き書きとして、「玄海」表示があり、私の調査範囲では、「玄界」の初出は昭和53年創刊の修猷歌集であり、大正12年制定からの公的館歌資料に玄界表示歌詞は未だ未発見状態です。

別の側面として、言葉の意味から考察すると、広辞苑、日本地名大事典では、「玄海」は玄界灘の略称であり「玄洋」とも称されると記載されています。
一方「玄界」は、辞書に言葉の意味表示はありませんでしたが、「玄」と「界」の漢字の意味として、黒く暗い世界、幽界を表し、英文表記ではBlack&Dark World となります。
玄海と玄界は、発音が同じゲンカイで似たような漢字語句ですが、意味は全く異なる語句です。

東京修猷会2008年総会資料の添付パンフレットに館歌歌詞の解釈があり、2番の・・青春の血は玄海の荒き怒濤と湧き立ちて・・は、「我らの青春の血潮は、玄界灘の荒々しい怒涛のごとく湧き立っている。」と記載されています。

玄界は、地元福岡居住の人間にとっては、玄界灘、玄界島から容易に海をイメージすることが出来ますが、玄海、玄界ともに、発音が同じゲンカイで、勘違いしやすいと私は考えています。
 玄海使用例:玄海町、玄海国定公園、玄海原子力発電所、玄海高等学校、玄海中学校
 玄界使用例:玄界灘(略称は玄海が正)、玄界島、玄界高等学校

館歌歌詞表記の調査においては、同期生他関係者の熱心なご協力の賜物でより明確となりました。
 高校正史では、昭和30年(1955),昭和40年(1965),平成17年(2005)発行分歌詞は「玄海」、昭和60年(1985)修猷館200年史のみは「玄界」表記です。

 高校學校要紀では、平成12年迄「玄海」、平成13年より「玄界」表記です。

 高校卒業アルバムでは、平成13年迄「玄海」、平成14年より「玄界」表記です。

 同窓会会員名簿では、平成22年迄「玄海」、平成27年より「玄界」表記です。

 同窓会発行DVD歌集歌詞カード、平成24年発行は「玄界」表記です。「玄界」決定理由は不明、決定議事録も不明、同窓誌「菁莪」に歌詞決定関連記事ナシ。

 修猷歌集は平成22年3月1日第11版を同窓会が発行し、歌集の為、著作者達とは契約未締結。

 近畿修猷会総会資料添付歌詞では、令和元年迄「玄海」、令和2年は「玄界」表記です。

 東京修猷会HP:「修猷の歌、楽曲」:shuyu.gr.jp/TAKIMOTO/MUSIC/music1.html は「玄海」表示
       館歌制定90周年記念 「東京修猷会の栞」(無二の会編)H25年発行
       館歌の変遷記事:shuyu.gr.jp/tky/2013/06/s62shiori2013.pdf

 単行本「修猷館200年の青春」巻末歌集、読売新聞昭和61年刊行では「玄界」表記です。

 「名刺広告新聞」毎日新聞平成13年刊行では「玄海」表記です。

以上の事実確認から、調査経過を振り返ると、昭和52年までの「玄海」世代、昭和53年から平成13年までの「玄海」「玄界」混在世代、平成14年以降の「玄界」世代に分けられます。
それぞれの世代で、在校時に教えられた歌詞語句は違うので、考え方も相違すると思います。
今後五十年、百年と続く修猷館の伝統文化を継承する上で、館歌は、大切なよりどころと私は考えます。 作詞者の思いが込められた館歌歌詞原本調査を今後共、微力ながら継続致します。
館歌作詞原本が不明の現状のままでは、上記の事実調査結果を踏まえて、館友読者の皆様が、館歌歌詞を考える材料の一助になれば幸甚です。
修猷館の今後の発展の為に、同期生他の仲間と共に、自分は何をなすべきかを考えています。
上記の館歌歌詞調査は、今後も継続していく所存ですが、個人の力ではあまりにも微力ですので、広く館友読者の皆様のご協力を賜りたく、関係資料の情報ありましたら、お知らせ願います。

又、上記資料に関する質問ご意見についても、メール又は携帯電話にてご連絡ください。  

                 以  上 


『館歌歌詞変更問題について』(令和3年11月20日近畿修猷会幹事会提出資料)

 


令和3年11月20日開催の近畿修猷会幹事会提出資料  

                                昭和42年卒有志 

1,問題の経緯 

我々修猷館卒業生にとって心のより所である館歌、その2番の歌詞「・・青春の血は玄海の荒き怒濤と沸き立ちて・・」の「玄海」の表記が、昭和42年卒業生が在校中のものとは異なり、いつの間にか「玄界」に変更され今日に至っている問題に付、疑問を提起した。

現在、館歌制定時の原本は不明のままだが、大正十二年に館歌が初めて制定された際の歌詞は「玄海」であったと推定されている。(修猷館200年史196ページ記載)

その後、昭和53年同窓会の応援歌伝承会編纂による「修猷歌集」で「玄海」が「玄界」に変更され、それ以降も「修猷館200年史」では「玄界」が、「修猷館220年史」では「玄海」が使われるなど、出版物により異なった使われ方がされてきている。ただ、学校の公式資料は、平成13年の「学校要紀」からは、「玄界」に統一され、平成14年から卒業アルバムも同様である。同窓会の5年毎発行の同窓会員名簿は平成22年までは「玄海」平成27年から「玄界」である。

2, 考察 

言葉の意味で考察するならば、
玄海=玄界灘のことであり、玄界灘は通常、玄海又は玄洋とも略称される。
玄界=「玄」と「界」の漢字の意味のみを見れば黒く暗い世界、幽界を意味する。
「玄海」は、「玄海国定公園」、「玄海町」、「玄海中学」、「玄海原発」などの使用例も多い。
同様に「玄界」も「玄界島」、新しくは「玄界高校」などの使用例はある。

「…青春の血は『ゲンカイ』の荒き怒涛と湧き立ちて…」の歌詞の意味からすれば、現行歌詞の「玄界」よりは作詞原本に推定の「玄海」の方が妥当であるというのが同期生有志の考えである。

3,これまでの経過

・令和3年1月2日から、昭和42年卒K氏より同窓会、学校に何度か質問メールを送る。
・令和3年5月13日、一九猷会(昭和42卒の同窓会名)会長名で同窓会に質問状を提出。
 「玄界」に変更した理由。その根拠。変更決定の公式記録公開、変更周知徹底の依頼
・令和3年7月15日付同窓会会長名で『昭和53年発行の「修猷歌集」及び「修猷館200年史」を正史と扱う為、歌詞表記されている「玄界」が正当』との高校・同窓会統一見解を回答。
・令和3年9月21日 「一九猷会」会長等が修猷館高校で館長との面談。
 館長の話として、「高校としては「玄海」「玄界」が混在していたため、平成13年から修猷歌集と二百年史の「玄界」に歌詞を統一した。現館長としては、同窓会より要請があれば学校側でも再検討することにやぶさかではない。」旨の話であった。
・令和3年10月6日「一九猷会」会長等が同窓会館で同窓会幹部と面談。追加調査報告説明会
 「歴史伝統伝承委員会の調査では、歌詞の原本、及び玄界へ変更理由も不明のままで公開していないが、公的資料から大正十二年に制定された歌詞は「玄海」であることは十分推測され、今後歌詞変更問題が同窓会会員に広く行き渡り「玄海」に戻すという機運が高まれば、同窓会本部としても一緒に学校側に申請することができる。」との話であった。

館友の皆様に、現行館歌歌詞のあり方を考えていただきたくお知らせ致します。


『館歌歌詞変更問題について』(令和3年10月21日 東京修猷会提出資料)

 


令和3年10月21日開催の東京修猷会提出資料  

昭和42年卒有志 

1,問題の経緯 

我々修猷館卒業生にとって心のより所である館歌、その2番の歌詞の「・・青春の血は玄海の荒き怒濤と沸き立ちて・・」の「玄海」の表記が、昭和42年卒業生が在校中のものとは異なり、いつの間にか「玄界」に変更され今日に至っている問題につき、昭和42年卒の川原章氏が疑問を提起したもの。

現在、館歌制定時の原本は不明のままだが、大正十二年に館歌が初めて制定された際の歌詞は「玄海」であったと推定されている。

その後、昭和53年同窓会の応援歌伝承会編纂による「修猷歌集」で「玄海」が「玄界」に変更され、それ以降も「修猷館200年史」では「玄界」が、「修猷館220年史」では「玄海」が使われるなど、出版物により異なった使われ方がされてきている。ただ、学校の公式資料は、平成13年の「学校要記」からは、「玄界」に統一され、今日に至っている。

2, 考察 

言葉の意味で考察するならば、
玄海=玄界灘のことであり、玄界灘は通常、玄海又は玄洋とも略称される。
玄界=「玄」と「界」の漢字の意味のみを見れば黒く暗い世界、幽界を意味するようである。
「玄海」は、「玄海国定公園」、「玄海町」、「玄海中学」、「玄海原発」などの使用例も多い。
同様に「玄界」も「玄界島」、新しくは「玄界高校」などの使用例はある。

「…青春の血は『ゲンカイ』の荒き怒涛と湧き立ちて…」の歌詞としては、館歌制定時の「玄海」の方が望ましいというのがK氏の指摘であり、同窓会本部や学校当局にも質疑を行っている。

3,これまでの経過

・令和3年1月2日から、昭和42年卒K氏より同窓会、学校に何度か質問状を送る。

・令和3年5月13日、一九猷会(昭和42卒の同窓会名)会長名で同窓会に以下の質問状を提出。
①「修猷歌集」、「修猷館200年史」で「玄界」に変更した理由。その根拠。
②同窓会が正式に「玄海」を「玄界」に変更決定した事実。その議事録。(同窓会名簿は平成17年・22年は「玄海」、平成27年から「玄界」となっている。)
③変更したのであれば同窓会会員にその理由を周知徹底してほしい。
・令和3年7月15日付同窓会会長名で『昭和53年発行の「修猷歌集」及び「修猷館200年史」を正史と扱うため「玄界」が正当』との回答。
・令和3年9月21日 「一九猷会」会長等が修猷館高校で岡本館長との面談。
館長の話として、「高校としては「玄海」「玄界」が混在していたため、平成13年から修猷歌集と二百年史の「玄界」に歌詞を統一したが、同窓会等に高校が「玄界」を採用したことが徹底されなかった。館長としては、同窓会の広い範囲で「玄海」に戻すことへの機運が高まれば学校側でも再検討することにやぶさかではない。」旨の話であった。
・令和3年10月6日 「一九猷会」会長等が同窓会館で同窓会幹部と面談。
「歴史伝統伝承委員会の調査では歌詞の原本は不明のままだが、昭和53年以前の公的資料から大正十二年に制定された歌詞は「玄海」で、原本は「玄海」あることは十分推測され、今後歌詞変更問題が同窓会会員に広く行き渡り「玄海」に戻すという機運が高まれば、同窓会本部としても一緒に学校側に申請することができる。」との話であった。

以上


同窓会誌『菁莪』原稿掲載拒否の通知(令和3年11月6日)

 


AK君から下記内容のメールが来ました

一九猷会長 関係各位 
いつもお世話様です。同窓会より原稿掲載拒否の通知がありました。
不本意ではありますが、同窓誌「菁莪」掲載の為、妥協して同窓会指示に従わざるを得ないと判断し、原稿書き直しを致します。 
 令和3年11月6日

修猷同窓会から原稿掲載拒否の通知のメール内容

AK 様

同窓会誌『菁莪』への掲載希望原稿を受領し、菁莪編集委員会と同窓会事務局で確認させていただきました。
結果、下記の理由により、現在の内容では掲載できないと判断しています。
 ・今回お願いしているのは「随想」であり、ご自身が調べて分かったことや考えたことを述べるにとどめて下さい。
 自分の考えが正しいことを前提に、読者に対して「〜すべきである」「賛同者を募る」といった文章形式では採用できません。
 また同窓会事務局や学校とのやり取りを記述することは控えて下さい。
 どうしても自分の考えに沿うような形で相手の発言や文章を解釈、切り取りしがちです。
 ご自身の調査結果と考えを述べ、評価や判断は読者に委ねて下さい。
 以上を踏まえ、対応をご検討下さい。よろしくお願いします。
   同窓会事務局
   菁莪編集委員会

同窓会長名歌詞表記回答文書に対する反論(令和3年8月18日)

 

同窓会長名歌詞表記回答文書に対する反論       

反論の前提として、歌詞原本は「玄海」表示で制定当初から継続して使用
回答は現行「玄界」の後付け理由説明書にしか過ぎない暴論で作詞者を冒涜している。

1、前提説明の「館歌は歌詞を含めて高校が権限者」は間違いで、
  制定者でしかない。歌詞変更の権限者は、作詞者=著作権者であり、
  高校が歌詞原本を変更すると作詞者=高校にしなければならないし、
  作詞者表示も高校となります。

2、公式見解の高校と同窓会は「ゲンカイ」表記を統一という名目で変更する
  権限はなく、あくまで作詞者の原本表記を調査し確認行為をするだけが
  役目です。  

3、昭和53年の修猷歌集の表記が「玄界」をもって変更したのであれば、作詞者、
  校閲者、再閲者を削除したうえで、玄界表示の新作詞者名を記載すべきです。
  後記にあるH氏・S氏共作作詞の表示であれば、理解はできます。
  しかし、歌詞の大部分は原作者の歌詞を使用しており、原作者の了解を
  取らないと盗作の疑いも持たれます。

4、 修猷歌集「玄界」表示をもって統一されたと説明しているが、修猷歌集以前に
  表記の公式記録を明示しないと、昭和53年に「玄界」新規作成としか判断
  されない。統一したと主張するのであれば、高校・同窓会の周知文書を
  公開明示すべきである。

5、「修猷館二百年史」を正史として扱い「玄界」表示しているとしているが、
  他の正史 昭和30年、昭和40年並びに直近平成17年発行の表示は
  全て「玄海」であり、何故 200年史のみの「玄界」を正とするのか
  理解できず、玄界への統一理由も記載してない。「玄界」公式見解ならば、
  他の正史の歌詞訂正文書は寡聞にして、見ていません。
  歌詞統一周知文書を発行しているのであれば、公開明示すべきである。

6、修猷歌集の版権所有は財団法人修猷協会とありますが、作詞者との承諾契約は
  されているのか疑問です。又版権取得の文化庁への申請・取得手続きについて
  内容不明です。契約・権利が正当である証明をしていただきたいものです。

7、個人調査途中ですが、大正12年の館歌歌詞制定から昭和53年まで
  公式文書では、「玄海」表示のみなのに、何故不吉な言葉を連想させる
  「玄界」に変更する理由が、皆目、見当がつきませんので、
  明快な説明をしていただきたい。

  以  上

同窓会誌「菁莪」原稿の投稿について(続報令和3年11月24日)

 


AK君から下記内容のメールが来ました

一九猷会長 関係各位

いつもお世話様です。
高校は、平成13年決定説明を翻し、同窓会事務局に同調してきました。
これ以上抵抗しても同窓会事務局に都合の良い事項を更に見つけて修正を要求してきますので、不本意ながら受諾せざるを得ないと思います。
精一杯の皮肉を込めた受諾メールを返信いたしたいと思います。

同窓会誌「菁莪」原稿同窓会案承諾連絡のメール内容

修猷館同窓会事務局 御中
福岡県立修猷館高等学校 館長殿  関係各位
  
いつもお世話様になっております。
何度もメールのやりとりでお手数をかけております。
同窓会事務局にて高校の館長、I先生に公式統一確認を取ったとのことで、私の説明発言調査不足となり、高校側にご迷惑をかけました。お詫び申し上げます。
昭和56年卒の館長、I先生は、同窓会の言う「玄界」世代にも拘らず、玄海・玄界混在世代と私の修正原稿に記載してしまい、大変失礼致しました。
M編集長さんも、私の原稿の変更が連続し、お手数をおかけいたしました。
編集締切期限もあると存じますので、下記同窓会案にて菁莪記載お願い申し上げます。 
今後も、作詞原本の調査、高校・同窓会が統一公式見解という昭和53年11月の統一決定者並びに未だ同窓会も調査中という「玄界」決定の理由を私なりに調査継続します。
私と同期生が館歌歌詞変更を考えるについて、東京修猷会の常任幹事会、近畿修猷会の幹事会において、事実経過と歌詞語句の意味を説明し、広く館友に考えてもらうよう表明いたしましたので、今後、意見が続出すると思われますのでよろしくご高配願います。
  令和3年11月24日 

2021年12月23日

『館歌歌詞を考える会』の発足のお願い(令和3年12月23日)

 

我々修猷館卒業生にとって心のより所である館歌、その2番の歌詞、
・・青春の血は玄海の・・の「玄海」がいつの間にか「玄界」に変更され今日に至っている問題

 一九猷会A.K君の提議により修猷館高校、同窓会に質問状を送り、同窓会役員とも話し合いの場を持ちましたが、回答を得ることができず、またその話し合いの中で館長並びに同窓会伝統伝承委員会の役員から同窓生の中で変更の機運が盛り上がれば再検討するにやぶさかではないとの話を受け、今回 同窓会各位に元々の歌詞「玄海」に戻すべきであるという主張を強く訴えるために『館歌歌詞を考える会』の発足を提案するに至りました。
一九猷会の皆様のご協力、ご支援を切にお願いする次第です。


  発起人代表 一九猷会会長


2021年12月21日

修猷館高校館長と修猷同窓会関係者との面談(令和3年10月6日)

 

1.修猷館高校館長との面談について

9月21日15時から修猷館高校館長室で、一九猷会会長とS氏が 館長との面談を 行いました。

修猷館高校館長との面談内容の概要のまとめ

①「玄界」への変更の経過
 ・昭和53年発行「修猷歌集」で「応援歌伝承会」が「玄海」から「玄界」に変更した。
  ――変更理由がわかる文書は不明とのこと(館長の見解)
  ――高校では「修猷歌集」は保存していない。(資料館にあるかもしれない)
     現在、修猷館高校教師(S56卒I先生)が個人で所有しているとのことで、
    「修猷歌集」は見ていない。
 ・「修猷館200年史」での館歌歌詞では
  ――大正時代の歌詞は 「玄海」である。資料①(クリックして参照)
  ――譜面付き「館歌」の歌詞は 「玄界」 である。資料②(クリックして参照)
    (修猷歌集の「玄界」を採用したと思う)
②高校での館歌歌詞の対応について
 ・昭和53年発行「修猷歌集」での「玄界」が、高校と同窓会で周知されないで、
 「玄海」と「玄界」が混在していると考えて、平成13年頃に高校で「玄界」に統一した。
  ――同窓会へは、高校が「玄界」に統一したとの連絡は徹底されなかった。
   (同窓会が平成24年「DVD修猷歌集」(S53卒U氏)
    平成27年「同窓会名簿」で「玄界」がみられる)
  ――「学校要覧」は平成12年「玄海」で平成12年から「玄界」になる
  ――「卒業アルバム」は平成13年「玄海」で平成14年から「玄界」になる
③高校での館歌歌詞の今後対応について
 ・館長からの返答では
  ――修猷館同窓会全体での館歌歌詞の今後対応を検討して「玄海」に変更すべきであるとの申し入れがあれば、高校として再度検討するとのこと。

追記)・館長はS56卒です。

2.修猷同窓会関係者との面談について

令和3年10月6日に同窓会館で、館歌歌詞語句表示問題の同窓会長追加報告についての説明と事実確認を行いました。

一九猷会会長からのメール文面(一部省略)

 本日、同窓会関係者との館歌改竄に関する話し合いに行ってきました。
 京都からこの問題の最初の提議者であるAK君も参加してくれ、こちらは私にAK君、副会長が出席、同窓会側は常任幹事長、事務局長、I氏高校先生、F氏歴史伝統伝承委員、T常任監事の5名が顔を並べました。
 先日送られてきた前回とほぼ変わらない木で鼻をくくったような返答書に関しての話し合いでしたが、先方も今回の回答書の①に記してある通り「統一されたと解釈されたと思われます」という表現のように断定すような言葉がなく、実際に出た話でも修猷二百年史に記されている大正十二年の館歌制定時から「玄界」に変えられた昭和53年の修猷歌集まではすべて「玄海」であり、原曲は「玄海」であったと推定されることは間違いないと考えると伝承委員会の福泉さんも認められました。
 そこで学校側が昭和53年発行の修猷歌集がどのようなことで「玄界」に変えられたかははっきりせず(誤植なのか、故意なのか)、それがそのまま二百年史の最後の館歌や応援歌の記載に用いられた為今日に至ったとのこと。(これは前回の返答書に同じ)
 今日までこのような「玄海」か「玄界」が混在する状態で来たことで(学校側はその修猷歌集を根拠に「玄界」で通してきた)
 今回、一九猷会からの問題提議を前向きにとらえて同窓会全体で「玄海」が正しい、元に戻すべきだとの気運が高まれば同窓会としても一緒に学校側に変更の提案をすることにやぶさかではないとの話でありました。
 先日の館長の話にあったとおり約40年間「玄界」で通してきているので、一九猷会から指摘されたからすぐに変えますとはいかない旨も学校側の話としてなされました。
 前回及び今回の回答書を出すに関して同窓会側もこちらに反論できないと悟ったと見え、幾分拍子抜けするような対応でありました。
 また同窓会側から、是非この件を同窓生に広める手段の一つとして「青莪」に投稿してくださいとの提案があり、AK君が2~3ページにわたり投稿することも決まりました。

・修猷館同窓会長名の追加回答書(R3.10.06付)
    ①追加回答書
    ②別紙資料


2021年8月23日

館歌歌詞への同窓会長の回答について(令和3年7月21日)

 


同窓会からは「歴史伝統伝承委員会」と修猷館高校が連携して調査した【調査結果(公式見解)】を下記の通り回答してきました。

  修猷館同窓会長名の回答書:http://shuyukan.sakura.ne.jp/img/kanka/dosokaicho-kaito20210715.pdf

その回答に対するコメントと今後の方針は下記の通りで、皆様のコメントをお願いします。

館歌歌詞公式見解に対するコメントと今後の方針について

今回の歌詞表記の同窓会長名による令和3年7月15日付けの文書回答につきましては、現行の「玄界」に統一するためのあとづけ理由としか思えない貧弱な論理であきれています。

1、 そもそも作詞者の原本有無の調査をしていません。又権限者は學校ですか?
  最古記録は玄海なのに玄界に統一した理由が明示されていません。
2、 作詞原本がなければ、最古の公式文書:学校記録、学校年史、學校要紀、卒業アルバムの館歌歌詞を調査すべきですが、令和3年1月15日依頼しましたが未回答です。
3、 公式見解の昭和53年11月15日発行の修猷歌集の「玄界」表示にて統一とあるが、大正12年の館歌歌詞制定以降の最古玄界表示の書類名が表示されていません。
 又、統一した理由についても説明されてません。歌詞の改竄は作詞者への冒涜です。
 高校の公式見解の決議議事録があれば、年月日と内容を提示してほしい。
4、同窓会と高校の一部の人が歌詞改変したものを何故に公式見解と曲解するのか?
  公式承認ならば何故に高校の公式文書で統一されなかったのか?卒業アルバムは玄海
5、昭和60年発行の「修猷館二百年史」を正史として「玄界」表示を理由としているが、他の年史、昭和30年、昭和40年、直近の平成17年発行の220年史では全て「玄海」表示となっていますが、これは全て誤表示とするのは矛盾するのではないですか?
  又、公式年史の歌詞表示変更の文書は見たことがありません。あれば提示願います。
6、この公式見解を何故にホームページや総会報告にて、過去公開しなかったのか?
  理由薄弱で、質問、抗議に回答できないからうやむやにしてきたのではないか?
  文末の修猷歌集の版権所有財団法人修猷協会が利権がらみで胡散臭いと思う。

今後の方向性ですが、あまりの回答のひどさに感情的になっていますが
A:この公式見解で高校・同窓会事務局は、一件落着で押し通そうと圧力をかけてきます。
  これに対し上記1~6の質問にて、反論追及致します。方法は別途検討
B:個人調査を続行=卒業アルバム、學校要紀、同窓会名簿、総会資料の空欄部
C:高校、同窓会事務局訪問し、B資料の閲覧要請=同期会総会時に福岡訪問予定
D:Aで進展がなければ、公開質問状を同窓会が権限者という館長、同窓会長に提出
E:さらに進展なければ、身内の恥をさらすが裁判所への提訴を検討する。
                               以 上

2021年3月31日

館歌歌詞2番の語句(玄界)で教えてください(令和3年3月20日)


 

 私個人の記憶では、青春の血は玄海の~でしたが、いつのまにか「玄界」に公式統一されてました。同窓会事務局、高校HPに質問しましたが、回答は色々論議はあったが、修猷200年史掲載の玄界に統一するという作詞者を冒涜する乱暴な理由でした。  作詞原本が「玄界」ならば納得できますが不明です。  更に玄界決定の「詳細理由」を問い合わせ中ですが令和3年3月20日現在、同窓会事務局、高校HP共に未回答のモヤモヤ状態が続いています。

”玄界決定理由の詳細をご存じの方は、教えてください。”
参考に高校HPに投稿した内容を下記に表示します。 ①福岡県立修猷館高等学校 御中 cc同窓会事務局(令和3年1月19日)
 いつもお世話様になっております。
 標記の件に付、別途問い合わせの同窓会事務局より、貴高校のI先生に確認し、いろいろ論議はあったが修猷館200年史掲載の「玄界」に正式決定し、統一していると返信いただきました。
 決定の経過はわかりましたが、決定理由が根拠薄弱で合点がいきません。
 歌詞原本が不明であれば、次の候補は最古の歌詞掲載公式文書となります。
 修猷館200年史は1985年の公式文書であり最古ではありません。
 玄界が使用された時代もあったとのことですが、1985年以後は、200年史掲載を根拠とする為、使用例にカウントできません。
 1985年以前での使用例は寡聞にして、聞いておりません。
 公式文書にて使用例の変遷検証をおこなっていますが、個人資料では 限界があり、学校保管の資料にて調査方よろしくお願い申し上げます。
 館歌制定の大正12年以降の公文書:学校要紀、卒業アルバムの語句を記入できるエクセルファイルを準備致しました。
 1985年以前に「玄界」表示の資料ありましたら、発行年月と掲載書類名 を記入して、コピーを添付返送いただきたいです。
 同窓会事務局にも添付ファイルの通り、追加調査依頼しております。
 新型コロナ感染症が猛威を振るい、大変お忙しい中とは存じますが 母校の館歌の歌詞が「玄界」=黒く暗い闇の世界というマイナスイメージに 改悪されていると感じてますので、正確で迅速な調査をお願いします。
    令和3年1月19日 ②福岡県立修猷館高等学校 御中(令和3年1月15日)
 こんばんわ 初めてメール致します。 昭和42年3月卒業の「 A.K 」と申します。 新型コロナ感染防止の大変な時期にお手数ですが、標記の件に付 調査し、歌詞変更資料をご開示ご回答賜りたくお願い申し上げます。  1、館歌2番の歌詞が「 玄界 」に変更を母校ホームページで発見しました。
 2、同窓会ホームページも同様に「玄界」に変更されていました。
 3、手元資料の卒業アルバム、同窓会員名簿(H17)は「玄海」で印刷されています。
 4、所属の近畿修猷会総会資料では、2019年は玄海、2020年は玄界でした。
 5、同窓会本部事務局に1/2問い合わせメールしましたが、1/15日現在未回答です。
 6、近畿修猷会幹事長に1/8問い合わせTELしましたが、知らなかったとのことです。
 7、先輩に確認したら、同窓会員名簿の館歌歌詞表示は、H22年は玄海、H27年は玄界との事
 8、平成22年から27年の間に変更されたと推量致します。

  調査回答御依頼事項は次の通りです。
   1)「玄海」から「玄界」に変更された時期:年月日はいつか?
   2)変更理由とその根拠は何か?証明資料あれば開示願います。
   3)歌詞変更の決定者はどなたでしょうか?HP管理者?、館長?
   4)歌詞変更の周知文書あれば開示願います。
 私見ながら、「玄界」の言葉は、地元出身者、地理歴史に少し詳しければ、玄界灘、玄界島から 海をイメージすることは容易に想像できますが、漢字そのものの意味では、黒く暗い闇の世界 黄泉の世界、幽界、あの世というマイナスのイメージとなり、歌詞にそぐいません。
 海のイメージである玄界灘の略称は、「玄海」又は「玄洋」であり断じて玄界ではありません。
  玄海の場合の実際例==玄海町、玄海国定公園、玄海原子力発電所、玄海中学、居酒屋等店名
  玄洋の場合の実際例==玄洋社、玄洋高校、玄洋中学
 他の「鹿島灘」「遠州灘」「周防灘」「日向灘」の灘をとると地域名で海の印象は少ない。
 「響灘」「燧灘」は、灘をとってもかろうじて海のイメージは、少し残ります。
 個人的には、学生時代から慣れ親しんだ「 玄海 」に愛着があります。
 同窓会員の皆さんは「ゲンカイ」と音が同じかつ、玄界灘の印象で違和感を持たなかった?
 著作権は期限を過ぎてますが、作詞者の原本歌詞は尊重されるべきと思います。
 作詞者の原本が「玄界」であれば、已むを得ませんが、変更の丁寧な説明が抜けています。
 色々と失礼に思いのたけをつづりましたが、母校愛の発露とご容赦下さい。
 年度末近く、卒業式等諸行事の準備でお忙しい中、大変お手数をおかけしますが、
 よろしくご高配の程、伏してお願い申し上げます。
   令和3年1月15日

2021年3月10日

凡学一生の優しい法律学①

 


熊本典道元裁判官の死

1. 父から教わった裁判官神話

筆者は幼少のころ、たびたび小銭を握って闇米買いの小使いをさせられた。その度「闇米などの違法な米を食することはできない」として餓死した裁判官の話を父から聞かされた。子ども心にも警察に捕まるかもしれない犯罪行為をしている恐怖心があり、父から聞いた裁判官の話は筆者の脳裏に深く刻まれた。

 大学の法学部に進学した筆者は当時多発していた冤罪事件に興味をもち、文献を多読した。当時、冤罪の原因者は警察・検察官とされ、彼らが非難の矢面に立たされていた。しかし、どう考えても最終的に判断したのは裁判官であるため、裁判官の責任がどうして問われないのだろうか、との疑問が強く残った。

 当時すでに新進気鋭の刑事法学者であった小田中聰樹(おだなか・としき)教授のゼミにも参加したが、やはりそこでも裁判官を非難する講義を聴かなかった。小田中教授の提唱した「検察官司法」という標語が一世を風靡した感もあり、闇米を拒否して餓死した裁判官の話が気になっていたところ、同じ疑問を追及した人がそのような事実は存在しないことを世間に発表した。

 しかし、日本の裁判官の極端な純潔性、潔癖性はすでに都市伝説(昔はこれを単に神話と表現していた)となっており、冤罪の基本的責任が裁判官にあるという極めて当たり前の論議が市民レベルで発生することはなかった。このことは、市民のなかにいまでも根強く残っていると感じられる。

2. 熊本元裁判官の懺悔

1人の無垢な人間が無残な冤罪でその一生を踏みにじられたのが、袴田事件である。

 熊本典道氏はその第1審の死刑判決を起案した裁判官であり、自己の良心に反する判決文を書かされたことで、裁判官を退職し、野に下った。その後、無罪の心証を世間に公表し、袴田再審請求事件にも積極的に協力した。これは冤罪事件ではほぼあり得ない事情であったため、世間の注目を浴びた。

 先日の熊本氏の死去にあたり、その裁判官として「評議の秘密」を暴露したことについて一部で論議を呼んだことが報道された。実はこの問題には、法哲学上の永遠の難問「悪法もまた法なりしか」が存在しており、国民の法的基礎知識として、わかりやすく解説したい。

3. 裁判所法

下級裁判所(地方裁判所)の合議体についての管轄規定は、裁判所法第26条にあり、その評議の秘密は第75条、評決については第77条に規定されている。裁判所法という法律の存在も知らない一般人がほとんどであるため、熊本氏に対する法律違反の指摘は弁護士か裁判官から出たものである。

 問題となる条文は75条であろうか、それとも77条であろうか。評議の内容を秘密とすることには問題がないため、75条の規定には問題がない。評議の評決を多数決と規定する77条にいかなる問題があり、77条がなぜ「悪法」となるのかを取り上げる前に、熊本氏に成立する法的正当性について説明する。

4. 裁判官の憲法上の権利義務

裁判官は独任制の司法権執行者であり、職制上の上下関係もその判決権限には影響しない。法に定められた審級制上の上級審の判決変更権も、対等な司法権同士での制度的変更権に過ぎない。

 正確な法的構造を教えられていない一般の国民は、地方裁判所の裁判官より高等裁判所の裁判官が「偉い」と理解している。裁判所につけられた名称が、「地方」から「高等」、そして「最高」となるため、そのように理解するのも止むをえないが、実態としては、運転免許証と同じように、裁判官は全員が司法試験合格者という横並びの能力者群である。

 余談となるが、職制上、上位の地方裁判所「所長」が、個別の事件の内容について口を出して大問題となった事件が、有名な「平賀書簡事件」である。

 憲法第76条3項は、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される」と規定しており、条文の文言中の「独立して」という言葉が原則的な独任制機関を意味している。

 熊本裁判官は当時、裁判官としては良心に反する死刑判決文を書かされたものであるため、それが憲法違反となることは誰も否定できない。それが起こった原因は、評決を多数決とする前記77条にあるため、77条が悪法であることは理解できる。ではなぜ、評決を多数決で決定することが悪法となるのか。それは、評決に事実認定とその法的評価という2種類があることに原因だ。

 真実は1つしかないため、真実、つまり事実認定を多数決で決めることはできない。認定された事実が何罪の構成要件に該当するか、どの程度の科刑が相当かという見解については意見がわかれてもおかしくないため、多数決で決することも不合理ではない。

 以上を要約すると、有罪無罪の評決(とくに死刑評決)は全員一致でしか行えない。多数決で行える評決は、罪名と量刑のみである。当時の裁判長の訴訟指揮が法律の根本的誤解にあったため、評決自体が無効であり、保護すべき評決は存在せず、評議の秘密の規範違反も成立しない。

5. これからの日本に必要なこと

日本社会で生きていくのに必要な法的意識は、第一義には親が子に教える。弁護士や裁判官ですらまともな法知識をもたず、常識はずれの人間が大手を振って歩くなか、一般市民が、子どもたちのために適正な法意識の教育をすることは困難である。公教育による法的権利意識の教育が急務である。

 このような社会の実情を反映したのが、熊本元裁判官の懺悔事件であった。熊本元裁判官は重病の病床においても、悔悟と懺悔の涙で泣き崩れた。死の直前において純粋な人間性を示した姿に多くの人が心を打たれた。

※参照資料ーー(データマックス)【凡学一生の優しい法律学】